名古屋で活動中のバンド「telescope」(Vo.)テラモトが、徒然と、ぐだぐだと、あることないこと綴ります。
telescopeにのめりこんで、前のめりで駆け抜ける日々を。そして時には、前のめり過ぎて転んでしまう様までも、余すことなく赤裸々に書いていきます。
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思ったことに 指がついていかなくて、
やっと追いついたと思ったら、
何が言いたかったのかも忘れてしまっていることがある。
携帯電話でメールをするときや、
パソコンへ物事を打ち込む時である。
普段からいかに、物事を表面で薄っぺらく考えているのか、わかる事象だ。
浮かんでは消えるあぶくのように、
考えというものは浮かんでは消え、浮かんでは消える。
ふと思った。
僕が考えるということは、
ひょっとしたら、僕が考えているわけではないのかもしれない。
それは、能動的なことではなくて、とても受動的なことなのではないか。
脳の中で、ある刺激を受けて、その反応として自然発生的に膨らんだ考えが、
そのほんの一瞬に、ただただ僕に認識されるだけ、というか。
それをうまく捕まえては、言葉にして、文字にして、歌にしたりする。
それを繰り返してきただけのような気もする。
もちろん、その考えが浮かぶためには、それ相応の準備、というか材料が
揃っていることが条件となるだろう。
それが、知識や視覚、聴覚などの感覚情報なのではないだろうか。
そんなものたちが各々化学反応を起こして、
あぶくが生まれているだけなのではないだろうか。
なんというか、お風呂で「バブ」を入れた時に、
お湯と反応を起こして泡が出て、はじけては消えるのを見ながら、
そんなことを考えた。
考えていたことが消えるとき、
まさに泡がはじけて消えたかのような感覚にとりつかれることがある。
・・・よなぁ。
なんて思いながら。
なんのことはない。
ただのこじつけ遊びである。
こんなことをグダグダ考えるのが、実に、楽しい。
・・・ただ、考えるという行動は、
自分が思っていること以上にとても受動的なことじゃないのかなぁ。
なんて思いは、実は昔からある。
まじめにいろいろ思うところもある。
そこに、刺激を与えて、あぶくをいっぱい発生させることができる人物が、
「よく考える人」なだけではないのかな。なんて。
自分が「考えの浅いヒト」だから、その劣等感から逃れられる言い訳を
こじつけたりしていたりする。
うーん。
深夜まで起きていると、
こんなよくわからないことを延々と考えてしまったりする場合があるから
大変よろしくない。
今日は、お友達のバンドがクラブでライブらしい。
行きたかったけど行けなかった僕は、
バンドの事務仕事をちゃちゃっと片付けてから、ゆっくり休むとしよう。
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